柔術ノート
附録 一

続ける人・やめる人

研究が示す3つの分かれ目

柔術を始めた人のうち、続く人とやめる人は何が違うのか。公開されている査読論文を探し、一次資料を確認できたものだけを根拠にまとめた。差は体力や才能ではなく、通う動機の種類、道場内の人間関係の位置、目標の立て方の3点に集約される。

01要約

続く人は「楽しいから」「上手くなりたいから」通っていて、道場で話す相手が何人もいて、「先週の自分より進歩したか」を基準にしている。

やめる人は「痩せたい」「見た目を変えたい」という理由で入り、道場で孤立し、「相手に負けたこと」を自分の失敗として数えている。これらは本人の資質というより、道場側の設計(歓迎の仕組み・固定の練習相手・帯以外の小さな達成の可視化)でも動かせる要因である。

この研究は「自分」に当てはまるか

各研究に「対象」の行(誰を調べたか)を付けた。自分に近い順に言うと、柔術クラブの大人185名を追跡したGraupensperger らの研究が最も近く(30代・趣味・道場通い)、柔術練習者228名の調査がそれに次ぐ(ただし米国の白人男性中心)。テコンドーの40名は運動クラス、Calvo らは10代の競技サッカー選手で、環境はかなり違う。日本の道場の大人を調べた研究は見つかっていない。

根拠の強さ

道場内の人間関係の中心性
強 柔術185名・7か月の前向き追跡で継続を予測
内発的動機(楽しさ・上達志向)
強 テコンドー前向き研究、柔術228名調査、青年アスリート研究で一貫
習得志向の目標設定
中 柔術12名の小規模研究+目標理論の先行研究
怪我
弱(間接) 発生率データはあるが離脱との直接の追跡なし

02一、通う動機の種類

続く人は「楽しい」「上手くなりたい」で来ている。やめる人は「痩せたい」「見た目を変えたい」で来ている。

根拠

  • Ryan ら(1997)米国の運動クラスに通う受講者40名(テコンドー組とエアロビクス組)。年齢・性別の内訳は本文で確認できず。別の実験では一般のフィットネス参加者155名でも同じ傾向。テコンドー教室とエアロビクス教室の受講者40名に「なぜ通っているか」を聞き、その後どれだけ通い続けたかを追った。テコンドー組は「楽しいから」「上手くなりたいから」という理由が多く、「痩せたい・体型を変えたい」という理由は少なかった。そして通い続けた割合もテコンドー組のほうが高かった。続いた理由を細かく分けると、効いていたのは「楽しいから」の一点で、「痩せたいから」で来た人は続くかどうかと関係がなかった。
  • 柔術練習者228名の調査(2023)柔術を実際に練習している大人228名へのオンライン調査。米国在住が72%、男性82%、白人80%。趣味で通う人から試合常連まで含むが、帯の内訳は集めていない。日本人は含まれていない。柔術をやっている228人に、通う理由を5種類(楽しいから/上手くなりたいから/体力をつけたいから/見た目を良くしたいから/仲間と会いたいから)に分けて、それぞれ7点満点で答えてもらった。平均点は「楽しいから 6.4点」「上手くなりたいから 6.3点」「体力のため 6.0点」が高く、「見た目のため 4.6点」「仲間のため 4.5点」が低かった。つまり柔術を続けている人の大半は、見た目や付き合いではなく、楽しさと上達のために通っている。また、ふだんから試合に出る人は「上手くなりたい」の点数がとくに高く(試合に出ない人 5.9点、出る人 6.5点)、一方で「何年やっているか」は理由の強さと関係がなかった。長くやれば自然に動機が育つわけではない、ということ。
  • Calvo ら(2010)スペインの13〜17歳の男子サッカー選手492名(連盟登録の競技クラブ所属)。1年後の連盟登録が続いているかで継続・離脱を判定。10代の競技スポーツなので、大人が趣味で通う柔術とは環境がかなり違う。10代のスポーツ選手に通う理由を聞き、その後続けたか辞めたかを追った。「自分がやりたいから」で参加している選手は続き、「親に言われて」「仲間がやっているから」のように自分の外側に理由がある選手は辞めやすかった。

読み方

「長くやっているから動機が強くなる」のではなく、「上達を自分の目的に据えている人が練習を続け、試合にも出る」という向きである。外見目的で入った人が外見目的のまま続くことはほぼ期待できない。入門時の動機を「楽しさ」や「できるようになる実感」に早い段階で置き換えられるかが鍵になる。

03二、道場内の人間関係の位置

続く人は道場の人間関係の中心にいる。やめる人は端にいる。

根拠

  • Graupensperger ら(2019)米国の大きな柔術クラブ1か所の練習者185名。平均31.9歳、95%が男性。7か月後の出席記録で継続を判定。大人が趣味で通う柔術という点では、この中で最も自分に近い。大規模柔術クラブの練習者185名(平均31.9歳、95%男性)に「誰とよく練習・会話するか」を回答させ、人間関係のネットワーク図を作成。7か月後にクラブの出席記録で継続状況を照合した。ネットワークの中心にいる人ほど「自分はこのグループの一員だ」という感覚が強く、7か月後も通い続けている確率が有意に高かった。

読み方

柔術の離脱について最も直接的なエビデンス。やめる人は「技術が下手だから」ではなく、「道場で誰ともつながっていないから」消えていく、と読める。初心者に固定の練習相手や声をかけてくれる人がいるかどうかが、技術指導の質より先に効いている可能性が高い。著者らも「クラブ内での仲間との統合を強める必要」を主要な示唆として挙げている。

04三、目標の立て方

続く人は「前の自分より上手くなる」を目標にしている。やめる人は「他人に負けないこと」が目標になっている。

根拠

  • 柔術練習者12名のスパーリング研究(2019)柔術を続けている男性12名(平均30.6歳、経験4.6年、週10.3時間練習、白帯〜茶帯)。週10時間はかなり熱心な層で、人数も少ない。白帯から茶帯の男性12名(平均30.6歳、経験4.6年、週10.3時間練習)について、スパーリング中の主観的運動強度と心拍数を目標志向と照合。「課題を習得する」「以前の自分を超える」という習得志向の目標が強い人ほど、実際に努力していた。「他人に負けたくない」という回避志向の目標も努力と相関したが、先行研究ではこの種の目標は不安や燃え尽きと結びつきやすい。

読み方

柔術はスパーリングで毎回「負け」を体験する競技である。「勝ち負け」を自分の価値基準にしていると、青帯前後の伸び悩み期で自尊心が削られ、離脱しやすい。「先週より一つ抜けられた」を基準にしている人は、負け続けても続けられる。サンプルが12名と小さいため単独では弱いが、目標理論の先行研究と方向が一致している。第二章の「習得理論(小さい目標とドーパミン)」、稽古の心得「小さい目標を刻む」とも通じる。

05補足、怪我と「最初の2〜3か月」

柔術練習者の調査では、6か月間に 59.2% が何らかの怪我を経験し、経験が浅い人ほど頭・肘・上肢の怪我が多く、週の練習日数が多いほど怪我が増える傾向があった。怪我と離脱を直接つないだ追跡データはないが、総説では「怪我は継続の障壁」と位置づけられている。初心者期に週に何度も出て無理をし、怪我して足が遠のく経路は、動機や人間関係とは別枠で警戒すべき要因である。

道場経営側の文献(査読なし)は一貫して「離脱は最初の数週間に集中する」と述べている。習慣化の研究では行動の定着に中央値66日(個人差18〜254日)とされており、「楽しさ」「仲間とのつながり」「自分基準の目標」が育つ前に、この最初の2〜3か月を越えられるかが分かれ目という整理になる。

06自分への含意

  • 道場で固定の練習相手をつくり、会話する人を増やす。これが継続の最大要因。
  • 「痩せる」「強くなる」ではなく「今日できるようになったこと」を毎回1つ言語化する。
  • スパーの勝敗ではなく、「先週より1回多く抜けられた」のような自己基準で進歩を測る。このノートの各章はそのための記録でもある。
  • 初心者期の週あたり練習回数を抑え、怪我で足が遠のく経路を塞ぐ。

限界と注意

  • 対象は白人男性中心で米国・欧州に偏っており、日本の道場にそのまま当てはまる保証はない。
  • サンプルが12名の研究があり、7か月より長い追跡研究はほぼ存在しない。
  • 「90%が青帯前にやめる」といった離脱率の数字は道場ブログ発で、査読論文の裏付けはない。

07参考文献

  1. Brazilian Jiu Jitsu players' motivations to train (2023). PMC
  2. Graupensperger S. et al. Social identity and personal connections on the mat: Social network analysis within Brazilian Jiu-Jitsu. Psychology of Sport and Exercise (2019). ScienceDirect
  3. Mastery goals are associated with training effort in Brazilian jiu-jitsu. Journal of Physical Education and Sport (2019). PDF
  4. Ryan R.M. et al. Intrinsic motivation and exercise adherence. International Journal of Sport Psychology 28, 335–354 (1997). Semantic Scholar
  5. Calvo T.G. et al. Using Self-Determination Theory to Explain Sport Persistence and Dropout in Adolescent Athletes. Spanish Journal of Psychology (2010). PDF
  6. Injury rate and pattern among Brazilian jiu-jitsu practitioners: A survey study. Physical Therapy in Sport (2019). PubMed
  7. Injury Prevalence in Brazilian Jiu-Jitsu and Mitigation Strategies: A Literature Review. The Sport Journal
  8. The Psychology Behind Martial Arts Student Drop-Outs(道場経営向け、査読なし). NEST Management
  9. 離脱率の俗説の出所(道場ブログ、査読なし). Jiu Jitsu Haus